好未( よしみ ) Spiritualサイド・・・

幼少期より目に見えない世界を感じていましたが、あるときを境にその感覚を自ら抹消し、自分は普通ではないから、自分の妄想なんだと、表に出さぬようしてきました。

 大人からすると気持ちの悪い存在だったんだろうと思いますが、父方の祖父が受け入れてくれていたのが唯一の救いでもありました。
 中学の時に祖父が体調を崩し亡くなり、自分の身の置き所が外にも内にも無くなった頃、自分の世界を表にだす唯一の発散方法が漫画を描く事でした。
 20代まで絵が好きで漫画家として生きていましたが、そこでの人間関係や家の事情、自分自身の葛藤等で仕事も恋愛もうまくいかず、一人暮らしを続けたくてWEB会社に就職するも、実家に帰らなくてはならなくなり、帰ってからしばらくすると、精神的に崩壊寸前の日々を過ごしていました。
実家での日々や親との関係などが、感謝すべきだと思い、それが当たり前だと思っていたが、窮屈さにどんどん違和感を覚え、30歳を超えてようやく、普通ではないと気づき、親の呪縛から少しでも逃れたくて色々やり始めました。それは、”自立”をちゃんと考え始めたきっかけでもありました。

 未成年時代はいじめられる日々だったこともあり、絵を描くことが救いで、描きたくて生きていて。絵が描けないなら生きている意味が無いと言いながら過ごし、専門学校卒業後デビュー出来たのですが、漫画家をやっている時に親からのプレッシャー(与えてるつもりは無かったらしい)や人間関係等で、大好きな絵が描けなくなってしまいました。 なんとか描こうとするも、白い紙を見ると吐き気やめまいが出る症状になり、自分は何の為に生きているのか分からず絶望の日々を数年過ごしました。
 もう、だめだと思いましたが、それでも絵に関わることがしたくてボディジュエリー・ビュエリストの資格を取得し、絵と人と関わることもチャレンジを始めました。
人付き合いが苦手で、人が嫌いだった為、無理が生じ、その後も気持ちがここにあらず伸び悩み、ある日相談で行ったオラクルカードの師にあたるMIKIKOさんに出会い、スピリチュアルを学び始めました。
 同時に現在、心や精神の支えとしてその他多くを学ばせて頂いているリブラさんにも出会います。(当時は学びよりも普通に鑑定を受けていました)
 オラクルカードでスピリチュアルの世界に飛び込むと同時に、MIKIKOさんから元々持っている物が違うんだといわれ、押さえ込んでいた感覚が一気に暴走し、心と身体を調節する日々が始まりました。
そこからは本当に苦しいしかありませんでした。分かる喜びもありましたが、それ以上に誰にも理解されない孤独感がずっとついて廻りました。

 実家に居ることで発生する自分の中の物凄い執着心や怒りの部分から何とか抜け出したくて、好きな人にも八つ当たりや執着が出てきて全部がうまくいかない。そんな自分に嫌気が差して仕方が無かったので、精神的なヒーリング(インナーチャイルドやヒプノ等)や、天使や女神のアチューメントなど色々やっていくも、ある一定のところで突破出来ずに悶々を過ごしていく中、もっと女としても魅力的になりたい!と思っているときに、エナビューティのHPに出会いました。
 しかし、当時は施術を受けることも無く、その後1年程悶々は続いていました。

 一年後、ある日急に突然思い出し、受けたことも無いのに直感で技術取得を申し出の電話をし、その時に、創始者のマダムマチコ先生と電話で話したことで、直感は意味があってなんだと感じました。

 そこからは更に怒涛のような日々でした。えなでの変化、自分のブロックをまじまじと見せ付けられる日々を過ごしながら、数年間の学びを経て、認定をもらいました。それはそれは本当に苦しく大変な時間でした。
 それは、自分の身体の声、腹の声、子宮の声を聞くことと、それを現実とどうすり合わせていくかとの葛藤があったからです。
施術者としてクリアしなくてはいけないことが本当に多く、逃げ出したい気持ちと、もっと知りたい気持ちの両方があり、危ないと分かっていても進んでみたり、いけると分かってても行かなくて遅れをとったり、その全てが学びでした。

 えなで知ったことは心や精神をいくらケアしていても身体の奥深くが追いついていなければ突破は難しい事があるという事。
ケアすることで身体はもちろん、気持ちが大きく早く変わり、自分が女性として生きるという事に意識がフォーカスされたこと。それから何よりも、自分の中のいい女の定義が変わった事。

 人は身体があって初めて人間になれる。
 セルフでも日々の鍛錬が必要な事も分かっていながら、私はついつい楽なほうへ逃げてしまいます。
 分かっていながら、あっちへふらふら、こっちへふらふら。だけど、少しずつ、「人間」である事への意識が芽生え、絵を描かずとも生きる。生きたいという事への意識も生まれはじめました。
 エナビューティを創めてからも、肉体の学びとスピリチュアルの学びを続け、自分なりのスタイルを見つけるまで本当に色々な事をやりました。

 エナビューティヒーリストの資格経験を経て数年。
同時にその頃、ようやく人生で初めて、両親に反抗できました。

 32年感、言わずに我慢していた事や、思っていた事、憤り、本気で体当たりの言い合いを繰り返すこと数回。
言い合いをする度に、この人達は本当に自分の事ばかりなんだなと。育ててくれた感謝はあるけれど、愛情の向け方がへたくそなんだと。
 誰も助けてくれない事も感じながら。自分が自分で守るしかないと。私らしくいたいから全てを受け入れることは無理だと言えるようにもなりました。

 これまで道のりでは、多くの先生方や人生の先輩方から学び、助けてもらいながらの日々で、たった数年ですが、ここには書ききれないくらいの経験をさせて頂きました。
 今でも変わらず、迷ったり、間違えたり、苦しんだり、驚くほどの孤独を味わう事を繰り返しながら過ごしております。
また、同時に、楽しみや喜びも多く感じています。

 自分が経験してきた色々をつめこんで
日々泣いて笑って愉しんで、今の自分を大切に生きていくお手伝いが出来ればと思います。

 2017年 エナビューティを卒業して独立。
 サロン『風羽り(ふわり)』と、リブラさんからつけて頂きました。
 この感謝をどんな形であれ、今度は私から皆様へお返し出来ればと思っております。
 どうぞよろしくお願い致します。

風羽り fuwari
Yoshimi
石川県野々市市押野

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